探索日:2021年12月27日

2009年に建てられた一里塚の史跡であり,付近を探索した2008年にはありませんでした。

行程記や芸藩通史も掲示してあり,管理人としてはわくわくする史跡でした。

ネットで得た情報と看板の向きが変わっていました…

場所

行程記

設置の看板より
山口県文書館 所蔵

行程記には,「周防尾瀬川堺ヨリ七里,廣嶋札場ヨリ二里」と記されています。

芸藩通史

設置の看板より

近隣の史跡

・男明神(現:小己斐島)

小己斐島~保存された陸の中の島 : 広島コンシェルジュ (exblog.jp)より引用
① 男明神(現小己斐島) : 広島市西区井口散策 – フルムーン日記 (goo.ne.jp)より引用
「安芸井ノ口海岸」明治末期~大正前期企画展示室 – ひろしまWEB博物館 (mogurin.or.jp)より引用
「西国街道を行く 安芸・備後路」 発行者:中国・地域づくり交流会 西国街道ぶらり旅の会  から引用

井口沖が海であった頃,男明神(現:小己斐島)と女明神と呼ばれた二つの島があり夫婦島として有名だったそうです。

男明神が海辺に浮かぶ,美しい海岸風景を見せていたそうです。

寛政9年(1797年)に作成された,『都志見往来日記・同諸勝図』の中の井口古図にも描かれており,景勝地となっていたようです。

上記の「芸藩通史」や「行程記」にも描かれています。

昭和初期,現在の国道建設のため女明神島が取り壊され,男明神島だけが残りました。

昭和41年(1966年)から始まった西部開発事業で男明神島のまわりも埋め立てられましたが,周辺は公園として整備されました。今も当時の雁木の一部が残っています。

場所

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