探索日:2008年3月2日

2021年12月の様子

案内板に貼られている「賀茂郡往還絵図」が見えにくくなっており、周りがはがれている状態でした。少し残念です。

案内板の「賀茂郡往還絵図」にもありますが、時友一里塚は「時友橋」のたもとにあったといわれています。その「時友橋」は「西条町史」によると「近在往還筋でも最長の橋であった。」そうです。

場所

行程記

山口県文書館 所蔵

行程記には、「廣嶋札場ヨリ七里、備後尾ノ道ヨリ十二里」と記されています。

芸藩通史

国立公文書館所蔵

近隣の史跡

・飢坂(かつえざか)

「西国街道を行く 飢坂(かつえざか)」 迷子になって… | 「五季」逍遥のブログ (ameblo.jp)より引用

案内板には、「江戸時代ここを西国街道が通り、この峠の西側(八本松側)を飢坂と言います。江戸時代、飢餓の時ここで多くの人が飢えて力尽き 亡くなったことから、この地名になったと伝えています。また峠の東側(寺家側)では飢餓のときに炊き出しをして人々を救ったと言い伝えられています。」と説明があります。

場所

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