探索日:2008年3月2日

探索日(2回目):2014年5月5日

初回よりも6年後の探索で、背も石碑より大きくなっています。

2021年12月の様子

ガードレールができていて、見えにくくなっていました。しかし、安全のためしょうがないですね。

牛満長者が西条一万六千石の田植えを、この場所から歌をうたいながら始めさせたことから、「歌謡坂」の地名がついたといわれているそうです。

場所

行程記

山口県文書館 所蔵

行程記には、「廣嶋札場ヨリ八里、備後尾ノ道ヨリ十一里」と記されています。

芸藩通史

国立公文書館所蔵

賀茂郡往還筋引捨絵図

広島県文書館 江戸の旅人たち 41140.pdf (hiroshima.lg.jp) より引用

近隣の史跡

・旧山陽道「西条四日市宿」 本陣(御茶屋)跡

2008年3月2日 撮影
2008年3月2日 撮影
2021年12月撮影

西条は「西条四日市」と呼ばれ、旧西国街道の宿場町でした。

案内板によれば、

宿駅では大名のとまる宿は「本陣」と呼ばれていましたが、「西条四日市」は重要な宿駅であったので、藩が直営でこれをつくり「御茶屋」と呼ばれていたそうです。

明治以降、「御茶屋」の建物は取りこわされましたが、御門と呼ばれていた正門を復元したものだそうです。

海田市宿の本陣も「御茶屋」と呼ばれています。

「中国行程記」「芸藩通史」ともに,大きく描かれています。

中国行程記

萩博物館所蔵  「近世芸備の山陽道」 発行者:広島県立歴史博物館 から引用

芸藩通史

国立公文書館所蔵

場所

芸備地域(広島県)の西国街道宿場

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