参考資料
一里塚は,鉾の峠(ほこのたお)と呼ばれる峠の中間くらいの場所にあったといわれ,一往還松も植えられていたそうです。
その後にも目安となる杭が立てられていたといわれていますが,今は何も残っていません。
推定される場所
中国行程記
中国行程記には,「周防尾瀬川堺ヨリ二里,廣嶋札場ヨリ七里当ル」と記されています。
芸藩通史
近隣の史跡
・玖波の高札場跡と角屋釣井
場所
玖波も西国街道の宿場町で,安芸国の最終駅でした。
高札場とは,幕府や領主が決めた法度(はっと)や掟書(おきてがき)などを木の板札に書き,人目のひくように高く掲げておく場所のことです。
芸備地域(広島県)の西国街道宿場
・洪量館(本陣)跡
本陣は高札場の50m西におかれていました。
屋敷の奥は現在の国道2号線あたりまであり,その先は海になっていました。
本陣から望む瀬戸内の素晴らしさは諸国にも聞こえ「洪量館(こうりょうかん)」と名付けられ,文人墨客の集まるところともなっていました。
慶応2年(1866)の第二次長州戦争によりすべてを焼失しました。
場所
コメントをどうぞ