参考資料
資料では「古文書には「左右に松二本あり,古胡の下,北平にあり」とある。」と説明されています。
この古文書とは「小方村国郡誌」といわれるもので,「壱里塚松古胡之下北平ニ有,町端より此塚松迄凡平道 夫より山坂道」と書かれているようです。
しかし,一里塚の位置を確定することはできないようです。
それと,資料に使用されている絵は,「日向一里塚」の復元図となっていますね…。
推定される場所
行程記
行程記には,「周防尾瀬川堺ヨリ一里,廣嶋札場ヨリ八里」と記されています。
芸藩通史
近隣の史跡
・亀居城跡
1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの後に安芸国に入った福島正則が,長門国・周防国の毛利氏への押さえとして国境に近い地に築城した平山城です。
1603年(慶長8年)に西国街道を押さえる要地に築城が開始され,5年もの歳月をかけて,天守を揚げた近世城郭で,非常に巨大な堅城として完成しました。
しかし完成して間もない1611年(慶長16年)に廃城となり,その役目を終えました。
1977年(昭和52年)に発掘調査が行われ,修復が徐々に進み,亀居公園として整備されています。
場所
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