探索日:2021年12月27日
「こぎいで古田の歴史めぐり」に記載されている「一里塚跡」の周辺を探索してみました。
残念ながら史跡らしきものは発見できませんでした。
「高須ノ塚松ハ里ノ童謡ニモ高須ノ沖ノニ本松卜称ヘシ大木ナリシ二十二年(明治)ノ五月ノ初メ払下ケ入札ニテ板トナリヌルハイト惜シキ事ナリキ」との文書が,草津の旧家には残されているそうです。
童謡にもなっていたという,高須一里塚の姿を伺うことができます。
しかし,入札されて板になってしまったとは,なんか切ない思いです。
出典元:「西国街道を行く 安芸・備後路」 発行者:中国・地域づくり交流会 西国街道ぶらり旅の会
推定される場所
広島市や近隣の市町は「西国街道に関係するマップ」西国街道に関係するマップのご紹介 – 広島市公式ホームページ (hiroshima.lg.jp)を作成されており,たくさんの情報を得ることができ,楽しむことができます。
行程記
行程記には,「周防尾瀬川堺ヨリ八里,廣嶋札場ヨリ一里」と記されています。
芸藩通史
近隣の史跡
・別れの茶屋
広島城下からおおむね一里の地点で,この付近には街道松が続いていたそうです。
前記の「歩いてみようさい発見」によると,『「別れの茶屋」は,草津の港へ通じる道と西国街道へ通じる道との分かれ目にあった「お休み処」。今はパン屋さんになっていますが,手作りのよもぎ餅やきび餅が,別れの茶屋の名残をとどめています。』とあります。
場所
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