探索日:2021年2月16日
影でピースをしています…
見えにくくなっていますが,石碑には「一里塚跡」と刻まれています。
西国街道に設置された,赤間関(現在の下関)まで五里の一里塚です。
吉田は宿場町でした。吉田の松林寺の近くにある「吉田旧街道」と刻まれた石柱には,「旧山陽道の街道筋にあり,江戸時代毛利藩本藩の所領として吉田宰判の代官所や本陣も置かれ,宿場町として栄えた」と刻まれています。
近くには,「吉田宰判勘場・御茶屋跡(本陣跡)」もあります。
「宰判勘場(さいばんかんば)」とは,萩藩毛利氏が領地を管理するために各地に築いた代官所のことです。
場所
御国廻御行程記
『御国廻御行程記』からも,宿場町としての当時の賑わいが伝わってきます。「御茶屋」も大きく描かれています。
周防国・長門国(現山口県)の西国街道宿場
近隣の史跡
・奇兵隊陣屋跡
管理人は「吉田」という地名から,すぐ「奇兵隊」が思い浮びました。
「奇兵隊」とは幕末の英雄高杉晋作によって組織された,藩士以外の武士・庶民からなる混成の民兵隊です。
元治2年(1865年)幕府による第二次長州征伐では,「奇兵隊」等の活躍により幕府軍を圧倒し,江戸幕府に完全勝利しています。
その「奇兵隊」の陣屋(合戦時に軍兵が臨時に駐屯する営舎)が置かれていたのが,ここ吉田です。
場所
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