探索日:2021年2月4日

春日神社一の鳥居の横に,平らな岩が建っています。

建石と呼ばれているようで,この石の傍に「陶の一里塚」があったそうです。

御国廻御行程記

山口県文書館 所蔵

説明板にも記されていますが,建石は,古くからここにあるらしく,「御国廻御行程記」にも「平岩」と記されており,「平岩と云う。古来よりこの所にあり、古老の伝に、昔、仟佰(せんぱく)の傍示に位置しと伝えり」と紹介しています。

建石の場所

グーグルマップの情報による「陶の一里塚」の場所

「御国廻御行程記」では,平岩と春日神社一の鳥居の間に描かれてはいますが…

近隣の史跡

・大村益次郎生誕宅跡

大村益次郎生誕の地    (山口県山口市): 日本隅々の旅  全国観光名所巡り&グルメ日記 (seesaa.net)より引用
大村 益次郎 | リフォームの現場から(株式会社ゲイナンハウス) (geinan-house.co.jp)より引用

大村益次郎は文政7年(1824)に漢方医の子として生まれました。

その後,蘭法医,兵学者となり,宇和島藩で日本で初めて洋式の軍艦を設計し建造しました。

その後,江戸に出て塾を開き,幕府講武所の教授にもなり,また,帰国して藩校である明倫館の教授となりました。

この後,いわゆる幕府による長州征伐がおこり,益次郎は参謀として指揮をとり,幕府軍を打ち破りました。

大政奉還後の,慶応4年(1868)の戊辰戦争の上野の戦闘では,総司令官として指揮をとりました。

現在,東京の靖国神社に銅像が建てられており,明治26年(1893)に制作された日本で最も古い西洋式の銅像だそうです。

スポット(大村益次郎像)|【公式】東京都千代田区の観光情報公式サイト / Visit Chiyoda (visit-chiyoda.tokyo)より引用

場所

ディスカッションに参加

1件のコメント

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です