探索日:2022年2月21日
萩往還は,2014年7月31日に訪れました。
しかし,当日はこの「中ノ峠下一里塚跡」がある道路が通行止めになっており,探索することができませんでした。
約8年後に,やっと目にすることがができました。
萩から三里の位置にあり,三田尻船場まで九里の一里塚です。
場所
萩往還とは
萩往還は、毛利氏が慶長9年(1604)萩城築城後、江戸への参勤交代での「御成道(おなりみち)」として開かれました。日本海側の萩(萩市)と瀬戸内海側の三田尻港(防府市)をほぼ直線で結び、全長はおよそ53km。
江戸時代の庶民にとって山陰と山陽を結ぶ「陰陽連絡道」として重要な交通路であり、幕末には、維新の志士たちが往来し、歴史の上で重要な役割を果たしました。
萩往還には、人馬の往来に必要な一里塚や茶屋跡、通行人を取り締まる口屋跡が残っています。大部分は国道や県道、公道として現在も利用されていますが、起伏の激しい山間道の中には廃道となったものもありました。そこで、近年これらを保存し、後世に伝えていくために整備が進んでいます。
幕末に維新の志士たちが時代とともに駆け抜けた萩往還。はるか江戸につながるこの道を、武士や庶民、そして幕末の志士たちはどのような想いで歩いたのでしょう。
歴史を感じ 自然を感じる 萩往還を歩こう ー萩往還とはー (yamaguchi-city.jp)より引用
近隣の史跡
・釿切(ちょうのぎり)御駕籠建場
釿切の集落の中ほどに御駕籠建場跡と桜茶屋跡の看板が立っています。
駕籠建場(かごたてば)は,街道を行く大名たちが駕籠を下ろして休憩するための場所です。
多くは見晴らしの良い場所に設けられ,施設として駕籠を置く台,柴垣,雪隠(便所),腰掛などが設けられていました。
萩往還にある「倅坂一里塚跡」の近くの「悴坂駕籠建場跡」は,当時の古図をもとに復元されています。
場所
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