広島市公式ホームページの「ひろしま八区ぐるっと散策「みち」めぐり」によると,可部一里塚は,「広島城下から北4里 安佐北区可部二丁目の船入堀にあり,可部宿の入口となっています。」とあります。
「船入堀」とは,太田川から川船をいれる為の堀であり,現在の明神社公園のある場所です。
明神社公園内には「船入堀」の船運の港の灯籠として,文化5年(1808)に鋳造された鉄灯籠(かなどうろう)が保管されています。
広島と出雲(松江)を結んでいた「出雲街道(出雲路)」に設置された一里塚です。
芸藩通史
芸藩通史にも「船入堀」が描かれており,そのすぐよこに一里塚が描かれています。 高札場もあったようです。
推定される場所
近隣の史跡
・三入高松城跡
安芸国三入荘を領地とした熊谷氏の居城です。
1221年(承久3年)の「承久の乱」の戦功により,安芸に入った当時の熊谷氏は当初三入荘北端に伊勢ヶ坪城を居城としていまいた。
しかし,熊谷直経が急峻な高松山に居城を構えることとしたのが,三入高松城の始まりと言われていますが,正確な築城年月は不明なようです。
城跡は,「伊勢が坪城」「土居屋敷」「菩提所観音寺跡」とあわせて「熊谷氏の遺跡」として広島県指定史跡として指定されています。
場所
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