探索日:2023年3月19日

「瀬戸の一里塚跡」のある島根県飯南町には、多くの史跡標柱が建てられています。

飯南町のホームページによると、「石次の一里塚跡」の解説は以下のように記載されています。

この標柱の左側に栗の木が立っている小山が見えます。これが一里塚跡です。一見、周囲の山と同じように見えますが、よく見ると一里塚の部分だけが独立していることが分かります。
一里塚は江戸時代初めに、石見銀山の初代奉行となった大久保長安の指揮によって全国の街道に整備されたものです。大きな街道の脇に通行者の目印となるよう一里(およそ4km)毎に設置されました。塚には榎や松が植えられ、旅人が木陰で休息を取れるよう配慮されていたとも言われています。
この一里塚跡にも、昭和20年ごろまで、松が生い茂っていましたが、枯れてしまったため代わりに栗の木を植えて目印としたそうです。この近くにあった家は屋号を「一里松」といい、また古い地図には一里塚という地名も残っています。
近くの「赤名湿地」には、ミツガシワやハッチョウトンボなどの貴重な動植物が生息しており、島根県自然環境保全地域に指定されています。長尾池を中心に遊歩道が整備されており、およそ1時間でゆっくり散策を楽しむことができます。

場所

近隣の史跡

酒谷口番所跡

設置の看板にあるように、「酒谷口番所跡」は出雲国と石見国の国境にあり、天領であった石見銀山領への出入り口だったそうです。

場所

ディスカッションに参加

1件のコメント

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です