探索日:2024年5月4日

設置の案内板によると、

『文政年代(1818年~1830年)の記録によれば、「雪は丈余(約3メートル余り)も降り積もり戸口より出入申さず破風口を開き軒際より入仕候」とあり、昔から吹雪の日に往来の目印になった老松である。またここは陰陽を結ぶ往還道で、この一里塚には「左わさ・庄原・ほんぢ」と刻まれ旅人の重要な道標であった。』

とあります。

場所

芸藩通史

国立公文書館所蔵

残念ながら、あったと推測される荒神原村に、一里塚の標はありません。

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