探索日:2024年8月13日
備前国から船坂峠を経て、播磨国に入って最初の一里塚があった場所です。石碑の周りは、すごくきれいにされていました。
場所
行程記
行程記には、「備中板倉ヨリ十二里、播磨姫路ヨリ九里」と記されています。
近隣の史跡
・梨ケ原宿遺跡
設置の看板では、「中世~近世の集落跡で、(中略)この遺跡のまわりは、中世の街道沿いの「宿」と呼ばれる町のひとつ「梨原宿」として船坂峠を越えて山陽道を行き交う人々でにぎあったとおもわれます。」とあります。
場所
探索日:2024年8月13日
備前国から船坂峠を経て、播磨国に入って最初の一里塚があった場所です。石碑の周りは、すごくきれいにされていました。
場所
行程記
行程記には、「備中板倉ヨリ十二里、播磨姫路ヨリ九里」と記されています。
・梨ケ原宿遺跡
設置の看板では、「中世~近世の集落跡で、(中略)この遺跡のまわりは、中世の街道沿いの「宿」と呼ばれる町のひとつ「梨原宿」として船坂峠を越えて山陽道を行き交う人々でにぎあったとおもわれます。」とあります。
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