探索日:2021年12月31日

2014年に建てられた一里塚の史跡であり,付近を探索した2008年にはありませんでした。

現在は大変賑やかな場所ですが,昔は暗く寂しいところで,「息を止めて急いで通った」との古老の話も伝えられているそうです。

下に掲載している,『芸藩通志』の「嚴鼻図」に「矢賀一里塚」が描かれていますが,周りには何もない様子がみてとれます。

場所

行程記

山口県文書館 所蔵

行程記には,「廣嶋札場ヨリ一里,備後尾ノ道ヨリ十八里」と記されています。

芸藩通史

国立公文書館所蔵

近隣の史跡

岩鼻(いわはな)

『芸藩通志』に広島の名勝として「嚴鼻図」が記載されています。

芸藩通史 「嚴鼻図」 国立公文書館所蔵

岩鼻とは,岩の突き出した端(はな)の意味で,かっては広島湾に突き出た岬であり,珍しい形をした大きな岩が幾重にも重なっていたそうです。

西国街道が整備されて,広島城下の東端を示す大門が,ここ岩鼻に設けられました。

寛政8年(1796年)には,御茶所(おちゃどころ)がこの岩鼻の南端に移され,諸大名が参勤交代の途中ここで休憩し,広島城下に入ったといわれています。

また,広島城を築城するときに天守台や石垣の石材として,ここ岩鼻の花崗岩が使われたそうです。

現在は名残もなく,「二葉の里歴史の散歩道」の案内板が建っているだけです。

場所

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