探索日:2014年7月31日

場所

行程記

山口県文書館 所蔵

萩往還とは

萩往還は、毛利氏が慶長9年(1604)萩城築城後、江戸への参勤交代での「御成道(おなりみち)」として開かれました。日本海側の萩(萩市)と瀬戸内海側の三田尻港(防府市)をほぼ直線で結び、全長はおよそ53km。

江戸時代の庶民にとって山陰と山陽を結ぶ「陰陽連絡道」として重要な交通路であり、幕末には、維新の志士たちが往来し、歴史の上で重要な役割を果たしました。

萩往還には、人馬の往来に必要な一里塚や茶屋跡、通行人を取り締まる口屋跡が残っています。大部分は国道や県道、公道として現在も利用されていますが、起伏の激しい山間道の中には廃道となったものもありました。そこで、近年これらを保存し、後世に伝えていくために整備が進んでいます。

幕末に維新の志士たちが時代とともに駆け抜けた萩往還。はるか江戸につながるこの道を、武士や庶民、そして幕末の志士たちはどのような想いで歩いたのでしょう。

歴史を感じ 自然を感じる 萩往還を歩こう ー萩往還とはー (yamaguchi-city.jp)より引用

近隣の史跡

一ノ坂駕籠建場跡

駕籠建場(かごたてば)は,街道を行く大名たちが駕籠を下ろして休憩するための場所です。

多くは見晴らしの良い場所に設けられ,施設として駕籠を置く台,柴垣,雪隠(便所),腰掛などが設けられていました。

説明板にも書かれていますが,一ノ坂駕籠建場跡は,残されている差図 (設計図面)をもとに復元されているそうです。

場所

六軒茶屋付近の石畳

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