探索日:2022年5月2日

案内板によると,慶長9年(1604)に藩主森忠政のときに,出雲街道に36町ごとに両側につくられた一里塚の一つだそうです。

北塚には黒松,南塚には榎が植えられていましたが,松は戦時中に献木のため切られ,また,榎も戦後に切られたそうです。

その後,昭和46年に一里塚の石碑を建立し,昭和47年(1972)榎と松が植えられたそうです。

場所

近隣の史跡

・土居宿 西惣門

案内板によると,慶長(1596~1614)年間に幕府による出雲街道の整備にあたり,ここに土居駅を定めた際,東と西の出入り口に惣門が設けられたそうです。

朝夕に門番によって開閉され,国境の警備のために建築されたものです。宿場町の両端に総門を備えていたのは,全国的にもまれな事例なようです。

明治2年の関所廃止令により,取り壊されましたが,平成13年3月に復元建築されたものです。

昭和50年代の土居宿 日本の街道6 夢誘う山陽山陰 集英社 より引用

土居宿は,美作七駅のうちの一つで,往来6町29間(約706m)の両側に本陣,脇本陣,問屋,平旅籠が並び,「いかなる大名も土居どまり」であったので,宿場町として栄えていたそうです。

場所

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