探索日:2022年5月2日

設置の案内板によると,出雲往来に関連する一里塚は,町内(久米町内)では東から順に領家・坪井・追分の三つがあったといわれており,坪井の一里塚は,この付近にあったそうです。

堠樹(こうじゅ)として,明治初年頃まで周囲八尺(約2.4メートル)程の松があったと伝えられているそうです。

「領家」は「茶屋一里塚跡」になるようです。

また,「堠樹(こうじゅ)」とありますが,「堠樹(こうじゅ)」とは,「街道脇の一里塚に植えて、里程を示す樹木」のことだそうで,管理人も多くの一里塚の記事を書いてきたのに始めて知った言葉でした…。

場所

近隣の史跡

坪井宿

設置の案内板によると,宿場跡として,唯一,久米町内に残っている場所が坪井宿だそうです。

かつての町は,七森川から引いた水路が中央にあり,南北に分かれていたそうです。

水路を挟む道路は南北それぞれに幅が二間(約3.6メートル)もあり,北側の道路は出雲街道で多くの家屋や旅籠が並び,南側の道路は里道として一般に使用されていたそうです。

このような町のかたちより,当時は「麦飯町」の異名もあったそうです。

場所

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