探索日:2022年5月2日

設置の看板には

「江戸時代,山陽と山陰を結ぶ陰伯街道の一里塚である。

この街道は,岡山市を発して一里毎に塚を設けていた。かしお,黒山,小茂田,田上などにあったが今は失われている。郷ノ坂,中津井にもあったというが位置は分からなくなっている。その先はあったという事さえ分からない。

此処下市一里塚はその中にあったよく保存され,貴重な存在である。」

と説明されています。

場所

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