このブログでは,一里塚を紹介するページの一部で,「行程記」群(「中国行程記」や「行程記」など)や「芸藩通史」の歴史資料を掲示しています。どちらの資料にも,一里塚が示されており,一里塚探索においては,わくわくさせられた資料です。
一里塚の史跡で,近年になって作成されたものは,説明版にこの歴史資料を掲示するパターンが増えているように思います。
「中国行程記」に憧れていた管理人ですが,ついに2023年2月に萩博物館を訪れ,本物の「中国行程記」と対面することができました。一巻から三巻までゆっくりと見せていただき,透き通ったような色彩の絵図に魅了された時間を過ごしました。
また,その後に山口県文書館を訪れ,「行程記」,「御国廻御行程記」や「芸州吉田行程記」とも対面しました。こちらは写真でしたが,さらに感動を深めることとなりました。
対応してくださいった,各館の方々にお礼申し上げます。
すごく充実した一日となりました。
「行程記」群
江戸時代に萩藩絵図師の有馬喜惣太が作製した,街道絵図の傑作であり,「行程記」は萩から江戸までの長大な参勤交代路が描かれており,「中国行程記」は,周防・安芸国境の小瀬川から京都伏見までの山陽道が描かれています。
往復両用の絵図として作られており,景観は常に画面中央の街道に対して,進行方向に向かって左右に描かれているため,横長の絵図の上に,上下向き合わせに書かれています。
街道沿線の自然や集落景観が色鮮やかに描かれ,地名や建物等の記入をはじめ,名所旧跡に関する由来書も豊富で,多彩な情報を含む歴史資料としての価値が高いものです。
芸藩通史
芸藩通史は,(げいはんつうし)は、頼杏坪、加藤棕盧(株鷹)、頼舜燾、黒川方桝、津村聖山、吉田吉甫、正岡元翼によって著作・編纂された安芸国広島藩の地誌で、文政8年(1825年)に完成した。
1663年に広島藩の作成した地誌『芸備国郡志』(黒川道祐編纂[1])を改訂し、内容を増補するために、1818年から再調査や資料の整理等の調査事業を開始して、最終的に1825年に完成を見た。全159巻。江戸時代以前の安芸国と備後半国(浅野氏の領国)の地理や文化、歴史を知る一級の資料となっている。主たる著者の頼杏坪は頼山陽の叔父である。
芸藩通志 – Wikipediaより引用