探索日:2008年1月26日

石碑の道路を挟んで反対側の駐車場に、かわいい「西之宮一里塚」という標識と、切り株がありました。きっと一里塚に使用されていた木の名残でしょう。

場所

中国行程記

萩博物館所蔵  「近世芸備の山陽道」 発行者:広島県立歴史博物館 から引用

行程記

山口県文書館 所蔵

行程記には、「廣嶋札場ヨリ十六里、備後尾ノ道ヨリ三里」と記されています。

芸藩通史

国立公文書館所蔵

芸藩通史には、すぐ横の西之宮八幡神社は描かれていますが、残念ながら一里塚は描かれていません。

2021年2月の様子

2008年にあったかわいい標識と切り株はなくなっていました。残念です。

近隣の史跡

三原城跡

三原城は永禄10年(1567年)、毛利元就の三男・小早川隆景によって、大島・小島をつないだ埋め立て地に建てはじめられたと伝わっています。現在は天主台や舟入櫓の一部しか残っていませんが、当時は、東は湧原川から西は臥龍橋付近まで約900m、南北には約700mもの長さだったといわれています。この中に本丸、二之丸、三之丸があり、櫓が32と城門が14もあるとても大きな城でした。特に天主台は広島城の天守閣が6つも入る日本有数の広さです。満潮時に城の姿が海に浮かぶように見えたことから別名「浮城」とも呼ばれています。この裾を引いた扇の勾配の美しい姿は群を抜きます。しかも余人では真似るべきではないといわれた「アブリ積み」という特殊の工法は、古代の石積形式を400年以上経た今でも立派に伝えています。

三原城跡 | 三原観光navi | 広島県三原市 観光情報サイト 海・山・空 夢ひらくまち (mihara-kankou.com)より引用

2017年に日本城郭協会の「続日本100名城」に選定されました。広島県からは、もう一つ「新高山城跡」も選定されています。どちらも、小早川隆景ゆかりのお城です。

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