探索日:2008年3月2日

2008年の探索時には、東広島呉自動車道路の下側にあった石碑と、東広島呉自動車道路の横に復元された一里塚跡がありました。

当時は、復元された一里塚跡は一つだったのですが、2021年に訪れてみると一対きれいに復元されて、また手入れも行き届いており、非常に感動しました。

しかし、2008年の訪問時に東広島呉自動車道路の下側にあったはずの石碑は、発見することができませんでした。

探し方が不十分だったのか?もしかして、撤去されたのでしょうか?

2021年2月の様子

平成12年、東広島呉自動車道建設現場で日向一里塚が原型に近い形を保った姿で発掘されました。

街道の南北に円形の二つの塚が発掘されたましたが、全周が残る北塚は直径約6m、高さ約1.7mで、塚には石が貼るように並べられてあり、2から3段に積んで巡らせた石列がありました。

設置の案内板より

西国街道に残る唯一の一里塚の発見だったようです。

発掘現場を直接見学したかったです。

2021年12月の様子

場所

行程記

山口県文書館 所蔵

行程記には、「廣嶋札場ヨリ九里、備後尾ノ道ヨリ十里」と記されています。

芸藩通史

国立公文書館所蔵

近隣の史跡

三永の石門

2021年2月撮影

この石門は、明治9年(1876)新しい国道(国道二号)が新設されるときに、遮断される農業用水路を道路上にアーチ式の橋を渡し通す計画が考えられ、明治15年(1882)に完成したものです。

本州唯一の農民のための石造リアーチ橋であったそうで、石門は建造当時のままで復元保存されています。

なお、当時の設置場所はこの場所より約200m東にありました。

設置の案内板より

場所

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