探索日:2010年4月4日

2021年12月の様子

木製の標柱から金属製の標柱に変わってました。

標柱には「有年横尾からここまでが一里で、現在ではこの塚跡を「塚の元」と呼ぶ。」と説明されています。

場所

行程記

山口県文書館 所蔵

行程記には、「備中板倉ヨリ十三里、播磨姫路ヨリ八里」と記されています。

近隣の史跡

・西有年宝篋印塔

赤穂市教育委員会文化財課「兵庫県赤穂市の文化財」 (ako-hyg.ed.jp) より引用

宝篋印塔(ほうきょういんとう)は,墓塔・供養塔などに使われる仏塔の一種です。

この宝篋印塔は花崗岩製で,南北朝時代中期後半頃の14世紀から15世紀初頭にかけての造立と推測されています。

もとは300mほど西の西国街道筋にあったそうですが,平成5年(1993年)3月に西有年圃場整備の際に取り払い、同7年3月に現在地へ移築されたそうです。

場所

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