探索日:2008年7月27日

2021年12月の様子

「行程記」には,「周防尾瀬川堺ヨリ五里,廣嶋札場ヨリ四里」と記されている一里塚です。

2008年と比べると,石碑の右横の家もなくなっていました。

また,後ろの家もこのように悲惨な状態となっていました。せっかくの史跡のある場所なのに,悲しく感じるのですが。

場所

行程記

山口県文書館所蔵  「江戸時代図誌 第20巻 山陽道」 発行所:筑摩書房 から引用

廿日市宿から宮内一里塚までの行程記です。

山口県文書館所蔵  「江戸時代図誌 第20巻 山陽道」 発行所:筑摩書房 から引用

宮内一里塚から西方面の行程記です。対岸の厳島も美しく描かれています。

芸藩通史

国立公文書館所蔵

近隣の史跡

・道標

西国街道 宮内串戸~大野浦 (sakura.ne.jp)より引用

宮内市民センター・公民館の庭には,高さ50㎝ばかりの道標が建てられており,それには,「右石州江 左九州江」と書いてあります。

これは西国街道と津和野街道の分岐点の道標と思われ,ここから1.4㎞先の現在の分岐点に立っていたものか、ここから200m先の砂原大橋辺りに立っていたのかは不明のようですが,車の衝突により破損したものを持ち帰ったといわれています。

場所

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