荒神原の一里塚・下り松跡

探索日:2024年5月4日 設置の案内板によると、 『文政年代(1818年~1830年)の記録によれば、「雪は丈余(約3メートル余り)も降り積もり戸口より出入申さず破風口を開き軒際より入仕候」とあり、昔から吹雪の日に往来 …

可部峠一里塚跡

探索日:2024年5月3日  広島市公式ホームページの「ひろしま八区ぐるっと散策「みち」めぐり」によると,可部峠一里塚は「広島城下から北6里 安佐北区可部町南原、石見街道の難所・可部峠にあります。北へ下ると本地宿に至りま …

丸池の一里木跡

探索日:2023年11月25日  設置の案内板によると、 「西国街道の脇街道である神辺街道に設置され、松が植えられていた」 とあります。  「神辺街道」は、江戸時代、福山城下から西国街道の通っていた神辺の間をむすぶ重要な …

赤名峠一里塚跡

探索日:2023年3月19日 設置の看板には、以下のように記載されています。  赤名峠の歴史は古く、万葉の昔、歌人の柿本人麻呂も通り、江戸時代には幕府直轄の大森銀山から、銀や銅の運搬に荷駄を連ねた難渋の峠でもあった。曲が …

峠岡一里塚跡

探索日:2022年12月28日 石見街道に設置された一里塚です。 江戸時代、石見街道は広島と浜田を結ぶ重要路でした。 場所 芸藩通史 芸藩通史には,この「峠岡一里塚」のあった旧本地村には,他に,「城峠」「冠山」の一里塚が …

城峠一里塚跡

探索日:2022年12月28日 石見街道に設置された一里塚です。 江戸時代、石見街道は広島と浜田を結ぶ重要路でした。 場所 芸藩通史 芸藩通史には,この「城峠一里塚」のあった旧本地村には,他に,「峠岡」「冠山」の一里塚が …

古市一里塚跡(史跡なし)

広島市公式ホームページの「ひろしま八区ぐるっと散策「みち」めぐり」によると,古市一里塚は,「広島城下から北2里 安佐南区古市一丁目・二丁目の境にあり、現在は水準点となっています。」とあります。 広島と出雲(松江)を結んで …

可部一里塚跡 (史跡なし)

広島市公式ホームページの「ひろしま八区ぐるっと散策「みち」めぐり」によると,可部一里塚は,「広島城下から北4里 安佐北区可部二丁目の船入堀にあり,可部宿の入口となっています。」とあります。 「船入堀」とは,太田川から川船 …

広島城下高札場

広島城下では高札場(こうさつば)が一里塚の代わりの標になっていたようです。 高札場とは,幕府や領主が決めた法度(はっと)や掟書(おきてがき)などを木の板札に書き,人目のひくように高く掲げておく場所のことです。 広島城下の …