梨ヶ原一里塚跡(兵庫県)

探索日:2024年8月13日 備前国から船坂峠を経て、播磨国に入って最初の一里塚があった場所です。石碑の周りは、すごくきれいにされていました。 場所 行程記 行程記には、「備中板倉ヨリ十二里、播磨姫路ヨリ九里」と記されて …

宇部一里塚跡

探索日:2023年1月27日 「西国街道」に設置された「萩ヨリ十六里 小瀬川ヨリ三十三里 赤間関ヨリ三里」の一里塚です。 「宇部」というのはこの辺りの古くからの地名だそうで,現在の宇部市とは異なります。 場所 御国廻御行 …

赤間関一里塚跡

探索日:2023年1月27日 「山陽道 赤間ヶ関街道 起終点一里塚跡」「安芸境小瀬川より三十六里」と記されています。 明治の初期までは,山陽道(西国街道)の起点を示す一里塚が建っていたそうです。 また,「赤間関街道」の起 …

嘉川一里塚跡

探索日:2022年5月21日 標柱には, 正面に「山陽道 一里塚跡」 左面に,「但 小瀬川ゟ弐拾三里 赤間関ゟ拾三里」 右面,「周防国嘉川村嘉川市頭」 と記されています。 嘉川地区の家並みには,虫籠窓と連格子の旧家などが …

岡山城下火の見櫓

岡山城下の一里塚は,盛り土した一里塚ではなく火の見櫓が一里塚を兼ねていたようです。 それが,「栄町の鐘撞堂」と言われるものらしいです。 表町商店街のホームページでは,「寛文五年(1665)に建設され,改築を重ねながら栄町 …

広島城下高札場

広島城下では高札場(こうさつば)が一里塚の代わりの標になっていたようです。 高札場とは,幕府や領主が決めた法度(はっと)や掟書(おきてがき)などを木の板札に書き,人目のひくように高く掲げておく場所のことです。 広島城下の …

日名内一里塚跡(史跡なし)

行程記 行程記には、「廣嶋札場ヨリ十二里、備後尾ノ道ヨリ七里」と記されています。 芸藩通史 芸藩通史では「平垣内池一里塚」という名称のようです。 また、芸藩通史に描かれている「八幡」は「日名内神社」だと思われます。「日名 …

尾原一里塚跡(史跡なし)

行程記 行程記では、梨和川と尾原川の合流箇所にある村境と、山道の坂を下りきった中間地点に一里塚が描かれています。 また、「廣嶋札場ヨリ十三里、備後尾ノ道ヨリ六里」と記されています。 芸藩通史 芸藩通史では「二ッ御堂」とい …

船木一里塚跡

探索日:2022年1月31日 「西国街道」に設置された「小瀬川ヨリ二十七里 赤間関ヨリ九里」の一里塚です。 場所 御国廻御行程記 近隣の史跡 ・旅人荷付場跡 船木は宿場町でした。 その宿場町を物語るように,船木には多くの …

陶一里塚跡(史跡なし)

探索日:2021年2月4日 春日神社一の鳥居の横に,平らな岩が建っています。 建石と呼ばれているようで,この石の傍に「陶の一里塚」があったそうです。 御国廻御行程記 説明板にも記されていますが,建石は,古くからここにある …